文 林 通 信

La première qualité du style, c'est la clarté. Aristote

シャオチンの場合

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「祖国に戻ったって、残された道はひとつだけ。与えられた仕事をして稼いで、好きなものを買うだけ。それならこっちで、思う存分に挑戦した方がずっといい!!」
 
これは中国からパリにやってきた、シャオチンのことばだ。私たちはパリカトリック大学で同じ講義を取って知り合った。
 
こちらで出会うアジアの女性たちからは、彼女のことばと似たようなことを聞くことがある。みな、心の底ではチャンスに賭けて自分のやりたいことに精一杯打ち込みたい、という強いパッションがあるようだ。それが自分の国では残念ながら叶いにくい、という不満も同時に感じられる。
 
中国、ロシア、韓国、日本... パリにはアジア圏からやってきたさまざまな女性たちがいる。私たちは、人種的に外見が似ているという単なる見かけの理由ではなく、それ以上に、同じような窮屈感や閉塞感のある国から出てきた者通し、みたいな奇妙な連帯感や繋がりによって互いを意識しているように感じる。
これはあくまでも、個人的な印象にすぎないけれども。
 
なぜここにいるのか、自国でなにをしていたのか、少し話せば、鬱憤ばらしのようにわああっと溜まっていたものが出てくる、みたいな場合を見ることがある。それは個人的な悩みというより、むしろもっと大きな、おそらくひとりでは太刀打ちできないような組織や国の政策に対しての不満だったりする。
 
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たとえば先ほどのシャオチンは、大学卒業後に六年間政府系組織で働いたそうだが、彼女のことばをそのまま借りれば「共産国ならでは」の政府へのごますりがすさまじく、そこで勤務しつづけることに限界を感じたらしい。残業時間も長く、仕事内容の割には薄給だった。
 
彼女はそのときすでに結婚しており、子どももいた。しかし家族とは別の、自分自身の人生をこれから歩むことをつよく決意していた。夫と息子を北京に残してひとりロンドンへ向かい、二年過ごしたのちMBAを取得、そして大規模サーカスをオーガナイズする会社を企業した(子育ては現地で夫にすべて委ねた)。
 
企業してさらに向かったのが、パリだった。彼女は北京に家族と住んで今後の人生を過ごすつもりはない。年に5回ちょこまか帰るからそれで良いのだそうだ。パリでPCワークしながら大学で講義を受け、フランス語を磨き、友だちと食事をしてリフレッシュする。「いまが本当に充実しているの。一人暮らし?寂しくなる暇もないくらい、忙しいのよ!毎日1hのジョギングもあるし。中国に帰るつもりは、しばらくないわ!」
 
パリからベルギー、ポルトガルイタリアといった外国に度々出張し、サーカスに出演するアーティストと直に交渉し、実際に技を見せてもらって契約を取るらしい。だから目まぐるしく忙しいのだそうだ。そう話す彼女の目は、つねに近未来を描きながら、はつらつとした今の輝きと将来への溢れる希望で大きく見開かれている。
 
わたしは彼女から、自国で働いていたときどんなに辛かったか、どんなに自分を抑えてきたかを沢山聞いた。そしてわたしは、中国と日本で生きる女性たちは似たような境遇にあるのではないかと思った。気がついたら、わかるわかる、とうなずきが収まらなくなっていた。
 
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アジアの国々には、個人に対する見えないプレッシャーや社会との軋轢、そして大きな抑圧が存在していると思う。女性に対しては、とりわけ人生におけるチャンスがぐっと少ないように感じる。こうしたプレッシャーは、それぞれの精神的な問題や生活環境によってさまざまな形を取るから、一見わかりづらい。でも日本にはたしかに、ヨーロッパにはない不定形の階級が存在していると思う。ヨーロッパのように、過去に伝統的に存在していた確固たる階級の名残りではなく、むしろ最近になって生まれたばかりの、もっと限定的で極端なヒエラルキーと格差が、わたしたちを見えないところで縛りつけ、拘束し、その未来を描きづらくさせているように思う。
 
自分がなにをしたいのか、なんのためにここにいて、なんのために生きているのか、そうした根源的な思考をストップさせてしまうような自己責任論。他者とおなじ生き方がもっとも安全で正しい、と思わせる社会構造。いつまでも無力な女の子扱いをして、ひとりの人格として、大人として見做してくれない、いまだ封建的な社会の雰囲気。こうした閉塞的な環境のなかに、才能や意欲のある若者が育つとは到底思えない。
 
もちろん中国と日本では、社会情勢がまったく異なる。シャオチンいわく、中国は宗教上の弾圧がひどく、職業選択の自由もかなり限られる。そのため企業する人がかなりの数いるが、会社を長く続けるには政府との密接なコネクションが必要になるため、忍耐と媚び売りの日々を耐え抜くしかないそうだ。(だから彼女は企業したのち、仕事の舞台を中国ではなく、パリにすることにした。)
 
しかし、自分のやりたいことがあったとき、周りの人びとや周りの環境、組織はどの程度自分のことを後押ししてくれるだろうか、周りの生き方に、ライフスタイルに、秩序に沿って、合わせて、生きなければならないというプレッシャーはないか、と考えたとき、日本と中国は似通った抑圧のなかで生きることを同じように強いられているのではないか、と感じた。
 
これから日本で人生を過ごしていくなら、考えなければならないことが多くあるだろう。それは、この国でどのように生きていくのか、ということ。どのような態度で、どのような意志をもって、どのような社会との、他者との関係性のなかで自分を保っていくのか。安泰な暮らしという見せかけーなぜなら国全体が安泰なわけでは決してないからーのなかもし私たちがいて、そこから這い出ようとしない、這い出ようとできないのならば、それはおそろしいことではないか。茨木のり子ではないけれど、倚りかかるべきものは政府でもなく、宗教でもなく、思想でもなく、自分自身の椅子の背もたれだけなのだから。