文 林 通 信

La première qualité du style, c'est la clarté. Aristote

神さまのノート

世界のひみつはすべて、
           神さまのノートのなかにあるとしたらーーー。
 
 
教会は、きょうも生と死をつかさどる。
生まれたとき、赤子は洗礼を受ける。
天に召されたとき、葬いの儀式がおこなわれる。
祭壇に向かう中央の通路には、数えきれないほどの新生児と死者がそこを通ったことだろう。何世紀にも渡って。そしてその周りで祝福したり、喪に服したりする人びと。白や黒の、特別な衣服を身につけて。
 
f:id:pommeligne:20190928003716j:plain
f:id:pommeligne:20190928003413j:plain
f:id:pommeligne:20190928003518j:plain
きらきら光る、St. Étienne du Monde教会
天上に住まう者。天使や聖人たち。かれらは遠くから降りてきて、赤子のあたまを、死者のあたまをやさしく撫でつける。その神聖な空気にふれた者は、特別な栄光に包まれる。いのちをもった者の、はじめとおわりの祝福。
 
 
あたまを撫でつけられた者たち。この世はかれらにとって善き場所であったか、あるいはそうではなかったか。のこされたわたしたちは知ることがない。
そしてまた、天上の世界が善き場所であるか、そうではないか。わたしたちは知ることがない。
 
にんげんのかたちをしてはいるけれど、からだの半分は天上の領域に含まれている、生まれたての赤子となくなったばかりの死者。
 
かれらと神のやりとりは、無言のうちになされ、大切なことはその指先のうちに、模様のはいった金の小箱のなかに、ひっそりとしまわれる。そして二度と、決して二度と、開かれることがない。
 
こうしてわたしたちの生は、まったくの未知数のなかに、静かに記録される。沈黙のうちに、無言に貫かれた一冊の神さまのノートのなかに。それを覗くことは、わたしたち人間には決してできない。いつ生まれて、いつ世を去るのか、決して知ることはない。
 

f:id:pommeligne:20190928003823j:plain

Marie, pourquoi vous ne dites rien avec le regard doux ?


今朝の教会には、青いベールを身につけたシスターのたまごたちが訪れていた。かれらは開かれることのない神秘に近しいところにいる。わたしはもしかするとそこから随分と遠いところにいるので、彼女たちの周りにただよっているとどうしてか安心するのだ。

 
 
天使たちはある夜、三十を迎える二十日前のむすめを天に連れ去った。その訳を、天上の者たちは教えてくれない。かざりをほどこされた分厚い扉は、隙なく閉じられた。
 
かなしみに浸った友人たちは、教会を訪れ、天につながる巨大な扉を見上げる。いにしえのだれがしかが緻密に彫り上げた花々や唐草に彩られて、扉は有無を言わず威厳をたもったまま。
わたしたちは近づく。できる限り、その神秘に近づく。
 
ーーーーー  十二時の鐘が響きわたる。
 
 
f:id:pommeligne:20190928003812j:plain
f:id:pommeligne:20190928002944j:plain
f:id:pommeligne:20190928003250j:plain
 
世界のひみつは、この沈黙のなかにある。そこで生命は誕生し、ゆるされた生を精一杯に過ごし、そしてまた、その謐けさのなかに返ってゆく。この地球上でなにをしようとも、どんな功績をのこそうとも、わたしたちはノートに予め記された以上の存在でも、以下の存在でもない。
 
どうか彼女が、やすらかな眠りのなかに、いつくしみに満ちたみずみずしい声音のなかに、永遠のときを過ごすことができますように
 
 

f:id:pommeligne:20190928004230j:plain

 
 
 
 
 
 
 

 

au-delà

出来ごとは、ときに人の心を翻弄し
戸惑わせるけれども
すべてが人の知性でもって解決できるわけではない

 

この限られた世界のなかに
無限の時の流れが横たわっていて
それに決して抗うことができないのと同じこと

 

そんな時には「待つこと」が最大の努めとなる


砂時計の砂が、一粒たりとも残されずに

流れ落ちていくように
雨粒が滞ることなく、葉上を滑らかに

すべり落ちていくように
平穏がふたたび根を下ろし、大地にすこやかな力が

みなぎるのを待ちわびる

 

待つこと 歩みを遅めること

つよく吹き荒れる風を見送ること

おだやかな春を望み、静かに手を重ねること

 

 

 

「レバノン 現実とフィクション」展

アラブ世界研究所「レバノン 現実とフィクション」展

« Liban Réalités & Fictions » à Institut du Monde Arabe

 

f:id:pommeligne:20190916230211j:plain
f:id:pommeligne:20190916230224j:plain
f:id:pommeligne:20190916230233j:plain
f:id:pommeligne:20190916230245j:plain
レバノンで生きる女性たち : 消せない戦争の傷跡と現在
レバノンの内戦はかれらの心に深い痕跡を残し、かれらの「今/現実/現在」はその大きなトラウマのなかで構成されることを余儀なくさせられる程である。しかしだからこそ一方で、かれらはレバノンの「外/他」の夢をみる。もっと別の国、ちがう場所に逃れたいという強い欲望、あるいはどこか夢見心地な「休息の地」への志向やあこがれ...。かれらにとっての「リアリティーとフィクション」は一枚のアラブの赤いタペストリーのように織り重なり、かれら自身の存在を、未来への眼なざしを日々作り上げている。
f:id:pommeligne:20190916225917j:plain
f:id:pommeligne:20190916225918j:plain
f:id:pommeligne:20190916230658j:plain
展示の様子
 
・写真家たちのうつした写真は「奇妙なもの、奇抜なもの」と「彼ら自身の文化」の交差、融合
 
レバノンの内戦(1975-1990)は、アーティストたちの作品に大きな影響を与えた
 
・「戦争」と「緊張」をつねに強いられているレバノンの人びと。そこで生きる女性たち
 
・攻撃され放置され、そのまま朽ち果てた白壁。それを無限に撮りつづけるひとりの写真家の眼なざしの中には、「亡命への欲望」が絶えず表れている。閉塞的で逃げ場がなく、人びとの思考を外に向けられなくする、分厚く色のはげた灰色の壁
f:id:pommeligne:20190916231031j:plain
f:id:pommeligne:20190916231039j:plain
f:id:pommeligne:20190916231120j:plain
f:id:pommeligne:20190916231103j:plain
・かと思えば、レバノンの都心の無秩序の魅惑。モダンで近代的な巨大ビルが、これまで見たことないくらいにひしめき合い、群をなして建っている。硬質な壁、口を閉ざした無数の窓。もの言わぬ人びとの憂鬱でかたくなな表情。それらの風景を俯瞰したときにおこる、わたしたちの眩まい。
 
・隣接するキッチュなビルディングの異様さ
 
経験されたカタストロフィーを創作の源として活動するアーティストたち、かれらの中にあるつよい失意、欠如、喪失、そこから脱却しようともがき、表現することで実る数々の作品。
カタストロフィーを経験することはもちろん恐怖であり、できることなら通りたくない道だけれど、カタストロフィーを通過しないことでもたらされる奇妙な不安感、平凡な日常をむしばむ不穏の正体とは一体なんだろう?誤解をおそれず言えば、かれらの生き方、在り方につよい輝きを見出してしまうのはなぜ?
 
経験されたカタストロフィーはひとつの「アイデンティティになりうるのか?
f:id:pommeligne:20190916231258j:plain
f:id:pommeligne:20190916231247j:plain
f:id:pommeligne:20190916231236j:plain
休息の地へのあこがれ
« Liban Réalités & Fictions » à Institut du Monde Arabe : l’expo magnifique par de jeunes photographes libanais. Les compositions qui maîtrisent la lumière et l’obscurité permettent de se rendre compte de leur histoire politique, culturelle et quotidienne du pays en pleine d’étonnement et insécurité, et à la fois de faire le dialogue de sensibilité entre eux et nous.
 

 

ジェラルドとクリスティーヌ

映画のコンフェランスでスイスのバーゼルに滞在しました。物価の高さで有名なスイス。なんと、フランスの一般内科医とスイスのレジ打ちの仕事は同じ年収なのです。したがってスイスの人はしばしば、国境を越えて買いものをしに行きます。

f:id:pommeligne:20190910214439j:plain
f:id:pommeligne:20190910214321j:plain
f:id:pommeligne:20190910214433j:plain
うつくしいバーゼルの自然

バーゼルはフランスとドイツの国境沿いにあります。自然に囲まれたすばらしいこの街に、ジェラルドとクリスティーヌは住んでいます。

                                     f:id:pommeligne:20190910215304j:plain

ジェラルドは精神分析家です。子供から大人まで、富める者から貧しい方まで、あらゆる人びとのカウンセリングを行っています。スイスの富豪は桁違いと言われますが、あまりに富める人びとは、ときにそのせいで心が病むのだそうです。かれはダイナミックで寛容で、遊び心と知的好奇心がたっぷりあり、一緒にいる人をたのしく真剣な気持ちにさせる人です。

 

クリスティーヌはアーティストです。絵や版画をつくるだけでなく、色を生み出し、組み合わせ、家や街の色彩を決める仕事もしています。今はバーゼル市に新しく建てる塔の色を決める任務を任されているそうです。近所の野原や家々の小さな境を裸足で歩き、自然に生えている木の実をとって食べる姿を見て、幼少期からこんな風にしてスイスで過ごしてきたのかもしれないと少し感動しました。


ふたりとも離婚を経験しており、知り合ったのは約十年前でした。展覧会でクリスティーヌの作品を見て、ジェラルドが一目惚れしたそうです。夕食のあと、手作りのアイスを食べているときに少しの沈黙があり、ジェラルドが「クリスティーヌ、あなたがしんでしまったら、その後の人生はとても生きがたいだろうね...」と言いました。「ほかの人を見つければいいわ」「ほかの人!それが一体どこにいる?」「ジェラルド、、あなたみたいな人こそ、世界中どんなに探しても見つからないわ」とクリスティーヌが応え、みなで笑いました。内心、少ししんみりしてしまいました。

f:id:pommeligne:20190910220939j:plain
f:id:pommeligne:20190910221017j:plain
f:id:pommeligne:20190910221020j:plain
クリスティーヌのアトリエ「色とかたち(farbton & format)」

かれらは六十歳を超えていますが、元気でパワフルで若々しいです。ふたりは出会ってから三回、より広い家を求めて引っ越しました。日本では六十を過ぎたら、棲家は決まっていて、落ちつく頃ではないでしょうか。でもかれらは色んな四苦八苦を超えて、まさにいまこそが人生、というくらいの勢いがあります。


過去と未来、そしてその間に横たわる現在。かれらを見ていると、どうしてか心が打たれます。出会いや別れの未知を、刹那を、必然を、感じざるを得ません。でも何かに真摯に立ち向かっていれば、その先には沢山の糸が伸びていて、多かれ少なかれ、なんらかの実りをもたらすのではないでしょうか。そう信じて、自分の為すべくことを真っすぐにこなしていくだけです。そのかれらのまったくの「誠実さ」と言ったら!