一枚の膜のうしろを覗きこむ
わたしたちは、考えなければならないだろう
一枚の写真の、一つの文章の奥にあるものを
感じとらねばならないだろう
そんな訳で、何がなんでもむしゃくしゃ写真を撮って
おさめればよい、という話ではないという気がしてきた
わたしの中には、ルポルタージュ好きな人間と、
より詩的ななにかを好むアンフォルメルな人間が
織りまざっていて、ひどく厄介だ
いずれふたりは決着をつけるのだろうか
にしても、写真の色と色のあいだに入り込んでいくような
あるいは、文脈の境に割り行って、幕の後ろへ潜っていくような
そんなぶくぶくとした沈潜がひつようであろう
そんな訳で、ふたりの種類の人間が
今日もからだの中で随分と長く話し込んでいる